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山口地方裁判所 昭和32年(レ)57号 判決 1962年7月30日

判   決

控訴人

田中方

右訴訟代理人弁護士

原田好郎

被控訴人

山中正敏

右訴訟代理人弁護士

田中堯平

右当事者間の昭和三二年(レ)第五七号隣地通行権存在確認等請求控訴事件につき、当裁判所はつぎのとおり判決する。

主文

原判決中控訴人勝訴部分を除きその他を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上証拠の提出援用認否は、

控訴代理人において、

一、山口市大字道場門前字道場五番地の二、五の宅地(以下本件宅地という)と同所七番地の一一との接する箇所にはもと五戸一棟の建物が病棟として建つていたので、被控訴人は本件宅地を買受けた当時、本件係争地を通路として使用できない状態であつた。従つて当時被控訴人が原判決添附図面第一図(以下単に第一図という)a橋に至るため通行していた土地は本件係争地以外の土地であつた。しかるに昭和二六年に至り都市計画により訴外奥田芳明が右病棟を現在の奥小路線に面した地点に移築(その一戸が現在の控訴人所有家屋)したことと、被控訴人が同所五番地の九ないし一〇及び七番地の八を訴外重富英一に譲渡したことにより前記公路に至る方法として本件係争地を通行するのやむなきに至つた。以上の次第で被控訴人は当初から本件係争地につき通行権を取得し、右権利を行使していたものでなく自己の所有地を任意に譲渡したことがその原因となつてやむなく本件係争地を通行するに至つたものである。

二、仮りに本件宅地が現在袋地であるとしても、被控訴人は民法第二一〇条による通行権の主張をすることは許されない。

本件宅地の東北部にはかつて幅約三尺乃至八尺の何人も自由に通行できる通路(第一図のうち青斜線の部分。)があり、被控訴人は本件訴を提起した当時までは右通路と本件宅地との境に幅約三尺の板の扉の出入口を設けて自由に右通路を使用していた。ところが本件訴訟が進行するに伴い、右扉を本件宅地側より釘づけにしてこれを遮閉し、更に、前記六番地の四の土地の所有者訴外佐々木直之と通謀してついに右扉をとりはずし、その部分を竹垣で閉塞して右通路と本件宅地との出入口を自ら完全に遮断してしまつた。右被控訴人の行為は著しく信義に反する行為であつて、斯様な行為によつて本件宅地が公路に達し得なくなつたからとて袋地であることを理由に通行権を取得するものではない。

と述べ、

被控訴代理人において、

一、控訴人主張の通路(第一図青斜線の土地)は佐々木直之が昭和二十六年前記区劃整理実施後自家の専用通路として開設したものである。被控訴人が、右通路と本件宅地との境に板の扉の出入口を設けたのは、佐々木との話合で非常用に右通路を使用させて貰うことになつたからに過ぎない。ところが、本件訴訟が起るや佐々木は紛争の渦中にまき込まれることを避けて、右出入口を遮閉し、被控訴人の右通路使用を拒絶したのである。従つて、本件宅地が袋地となつたのは被控訴人が自ら招いた結果であるという控訴人の主張は当らない。

二、被控訴人が重富英一に四筆の土地を売つたのは自ら好んでしたことでなく奥小路線開設に際し市の勧奨に従つたまでである。而して右各土地は何れも帯状の公路に面しない土地であつて、これを譲渡したために本件宅地から奥小路線への通路がなくなつたものではない。

と述べ、

証拠として、(中略)と述べたほかいずれも原判決事実摘示(中略)と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

被控訴人が本件宅地を同所五番地の九、一〇、一一、同所七番地の八の宅地と共に昭和二〇年九月一日訴外奥田芳明から買い受け、現に本件宅地を所有しており、控訴人が同所七番地の一一を昭和三〇年末ごろ同訴外人から買い受け、現にこれを所有しており、右両地が相接していることは当事者間に争いがない。

被控訴代理人は右買受により右五番地の二、五、九、一〇、一一、七番地の八の各土地が袋地となつた旨主張し、控訴代理人は、右土地は右買受当時公路に通じていた旨主張してこれを争つているのでこの点について審理する。

(証拠―省略)を綜合して考察すれば、

一、奥田芳明は被控訴人に右土地を売り渡した当時、第一図の赤点線で囲まれた部分を所有し、同所六番地の四の一部(第一図青点線で囲まれた部分)を所有者訴外善生寺から賃借していたこと、当時同所八番地、八番地の三は訴外重富英一の所有で同訴外人は同所に家屋を所有し、同所五番地の四は訴外永元靖男の所有で、同訴外人は同所に家屋を所有し、同所六番地及び六番地の三は善生寺の所有の畑で、訴外山根某に耕作のため賃貸していたこと、同所五番地の六は訴外野原定夫の所有地にして、野原定夫は同所六番地の四の内奥田芳明の前記賃借部分を除いた部分を善生寺から賃借し、両地に跨がり家屋を建築所有していたこと、当時第一図記載の奥小路線は開通してなく、従つて同図記載の同路線の橋はかゝつていなかつたこと、

二、奥田芳明方が当時本件宅地から公路に出る経路として左の三つの通路があつたこと、

(イ)  奥田芳明所有の同所七番地の一一(右土地の同所五番地の二と接する、奥小路線に面しない部分には当時南北に建てられた五戸一棟の、同訴外人所有の病棟があつた。右病棟は昭和二六年奥小路線開通の際、奥田芳明において同所七番地の四及び同番地の一一の右路線に面する地点に移築したが、その一戸が現在控訴人所有の店舗となつている。)同番地の四に存在した私道を通つて第一図記載の私設a橋に出で、これを渡つて公路に出る経路。この道は本件宅地まで自動三輪車を乗りつけることが可能であつた。

(ロ)  奥田芳明所有の同所五番地の八の北東側境界附近に生垣がありそこに裏木戸が設けられ、そこから同所六番地の三、六番地の畑の中の私道を通つて第一図記載の私設b橋を渡つて公路に出る経路。この道は右畑の耕作者や永元、重富も通行していたもので、道幅は約二尺五寸ないし三尺であつた。なお永元にとつてはこの通路は公路に出る唯一の通路であつた。

(ハ)  (ロ)記載の生垣を出て少し行つた地点に東方に岐れる坂道があり、道をこの坂道にとつて行くと第一図記載の青斜線で表示した私道に出られ、この道を東方に進み公路に出る経路。この道はもともと野原定夫が同人所有の前記家屋から右公路に出るために善生寺所有の土地(それが何番地に属したかは詳かでない)を有償で借り受けて設けたものであつて当時は未だ道幅は、二、三尺位で、迂曲していた。

三、奥田方は本件宅地を被控訴人に売却するまで主として、二、(イ)経路を通行し、必要に応じ二、(ロ)の経路を通行したが、二、(ハ)の経路はめつたに通らなかつたこと、

四、重富英一方は奥田芳明の屋敷を通らず専ら(ロ)二、の経路及び同所八番地の北端に当時の市役所の車庫に向つてかゝつていた私設の橋を渡つて公路に出ていたこと、

五、被控訴人はかような地理的環境にある前記宅地及び同地上の家屋を買つたものであり、右買受けに際し、通路に関する特段の申し送りはなかつたがその後後述の如く昭和二六年の都市計画の実施により右地理的環境が変更されるまでは何人のとがめを受けることもなく前述の三経路を通行していたこと、

六、昭和二三、四年頃その頃野原定夫から同人所有の前記土地家屋及び借地権の譲渡を受けた訴外佐々木直之(但し買受名義人は訴外渡辺リカ)が右家屋の玄関を北向きに変え二、(ハ)の通路の幅一杯に屋根庇を出そうとしたところ、被控訴人方と永元方から、右私道がなくなることは不便であり、且つ非常の際にも困るという理由で強く反対し、三者話合の結果、さし当り右道路敷地の向ふ三年分の地代を等分して負担することとし、右私道は存置されることに話合がついたこと、

を認めることができる。(中略)

以上の認定に徴すれば二、(ロ)の私道はそれが相隣関係に基くものか地役権設定契約に基くものかは明らかでないが、少くともその敷地所有者たる善生寺といえども、これを利用していた重富、永元、奥田の承諾なくして勝手に潰廃することのできないものであつたことが推認せられ二、(イ)の私道通行は奥田芳明において被控訴人に対し前記宅地の譲渡と同時に暗黙のうちに無償の地役権を設定したものと見るのを相当とすべく、二、(ハ)の私道は前叙の次第により合意による通行権を取得していたものと認められるから、被控訴人買受当時本件宅地が袋地であつたとは到底認めることができない。

以上の次第で被控訴人の右宅地がその買受けにより袋地となつたことを前提とする主張は、その他の点の判断をするまでもなく失当である。

よつて進んで本件宅地が現在民法第二一〇条第一項所定の袋地であるか否かについて考えるに、(証拠―省略)を綜合して考察すれば、

七、昭和二六年山口市都市計画事業の土地区劃整理の施行により前記奥小路線が開通し、これに伴い同所八番地、五番地の四、六番地の三、五番地の八の土地がいずれも山口信用金庫の所有となり同金庫は昭和二六年から昭和二八年にかけて右八番地、五番地の八、六番地の三の土地の南側境界線上に高さ一間以上の煉瓦塀を設置したゝめ、本件宅地から二、(ロ)の通路を経て公路に至る道が閉されたばかりでなく、この道を通じて通行できていた二、(ハ)の経路も同時に閉鎖されるに至つたこと、

八、そこで被控訴人方ではその頃佐々木直之の承諾を得て同所六番地の四の被控訴人の賃借地と佐々木直之の賃借地との境界に幅約九〇糎の通用門を設置し、そこから佐々木の右賃借地を通り二、(ハ)の私道に通行できるようにしたこと、このため佐々木直之は通行人が屋内を覗くことを防ぐための遮蔽物としてほぼ右通用門の幅の土地を通路として北側に残して南側に竹垣を設置したこと、この結果この私道はその頃佐々木直之において右東方を整備したことと相俟つて、右出入口附近は幅約九〇糎の部分が一二米八五糎の長さとなりこの部分から東方に続く部分の道幅は一米六五糎となり、更に東端の公路に至る附近の道幅は約二米二七糎となつていたこと、然るに本訴提起昭和三一年一二月頃佐々木直之は右通路を残しておいては訴訟の結果が自己に不利益に波及するやも知れぬことを警戒して、右出入口の佐々木側に竹垣を設け、この竹垣の下に高さ二二糎位のコンクリートの基礎を設置して右出入口を閉塞し、さきに遮蔽物として設置した竹垣を取り去り、且つこの旨被控訴人に通告し来つたこと、昭和三三年七月佐々木直之は善生寺から右私道の敷地を買受けその所有者となつていること(但し、未登記である。)

九、前記の次第で二、(ロ)の通行ができなくなつた昭和二六年三月頃市役所の当時の都市計画係長訴外石川友助の斡旋により奥田芳明代理人林正、重富英一、被控訴人三者間に、

1、原告は重富英一に対し同所五番地の九、一〇、一一及び七番地の八を譲渡する。

2、奥田芳明は重富英一に対し九番地の一三を譲渡する、

3、重富英一は奥田芳明に対し同所八番地の三の土地の内同所七番地の一一の土地に突出している部分(第一図赤点線参照)を譲渡し以て右七番地の一一と八番地の三との境界を第一図及び原判決添附図面第二図(以下単に第二図という)記載の如く直線とする、

4、奥田芳明は被控訴人に対し本件宅地から奥小路線に至る通路として同訴外人所有にかかる第二図記載イロハニホヘトイの各点を結ぶ土地を通行することを認容する、

旨の契約がそれぞれ成立したこと、

一〇、右契約により取得した通行地役権に基き、被控訴人は本件係争地に奥小路線に通ずる通路を開設し、現在までこれを使用し来つたものであるところ、右地役権の登記を経由しないうち、被控訴人の自認する如く、控訴人において同所七番地の一一の宅地を奥田芳明から買受け、その所有者となつたこと、

一一、その後同所八番地の三、五番地の九、一〇、一一、七番地の八、九番地の一三の宅地及びこれら宅地上の家屋は重富英一から山口信用金庫に譲渡されたこと、

一二、右宅地上の建物は右宅地の南側に寄せて建てられているので右宅地の北側約半分は空地であり、この部分と本件宅地との境界には粗末な板塀があるのみであり、且つ右宅地の奥小路線に面する部分には板塀も何もないので、右板塀の一部分を撤去すれば本件宅地から奥小路線に直線に通行することができる地理的関係にあること、

を認めることができる。(中略)

被控訴人主張の、控訴人と佐々木直之が通謀して前記八、前段認定の通路を閉鎖した事実はこれを認めるに足る証拠はない。

右認定によれば本件宅地には前記次第で佐々木直之によつて閉鎖された通路を除いて他に公路に至る通路がなく、従つて被控訴人が佐々木直之に対し右閉鎖された通路につき通行権設定契約に基く権利を有しないとすれば、本件宅地は民法第二一〇地所定の袋地であるといわねばならないけれども、叙上認定の事情に徴すれば、必ずしも右通行権が存在しないとはいい切れないものがあるのみならず仮りにこの点で一歩を譲り、本件宅地の現況が右法条に定める袋地であるとしても、被控訴人が前記数筆の囲繞地のうち本件係争地を通行の場所として選び、且つ第二図(イ)(ト)の地点を少し奥に入つた地点に設置された板戸を自由に開閉して通行することをその方法として選ぶ(板戸を撤去して自由に通行する方法の請求については附帯控訴がないから判断しない。)には、本件係争地が本件宅地のため必要にして且つ他の囲繞地に比較して損害最も少きものであることを被控訴人において主張立証しなければならないと考えられるので、この点について更に判断を進めることとする。

1、前記認定によれば、山口信用金庫の所有にかかる同所八番地の三の空地は本件係争地とほぼ同一の地理的関係にあり、被控訴人はこれを通行することによつても十分その必要を充たし得るものと認められる。そこで右八番地の三を通行することと本件係争地を通行することといずれが損害が少いかについて考えるに、右の点につき本件係争地の方がその損害が少いとする原審での証人山中宇一の証言はたやすく措信し難く他にこれを明らかにするに足る証拠はない。

2、前記二、(ハ)及び八、前段に認定した通路は前叙の次第で佐々木直之によつて被控訴人方出入口附近は閉鎖されたが当審での第二回検証の結果によると、右通路のうち右出入口から東に幅約九〇糎長さ約一二米八五糎の部分を除くその他の部分は現在も同所六番地の四、五番地の六の宅地の通路として用いられており、これを従前のように復元するには前述佐々木直之において右出入口附近に設置した竹垣、コンクリートの基礎の一部及び庭石土砂若干を取り除けばよいことが認められる。

而して、佐々木直之が右通路を通行されることによつて蒙る客観的損害は、既にその用地の大部分は自ら通路として用いておるのであるから、復元によつて通路に用いられる前述の幅約九〇糎長さ約一二米八五糎の面積の土地を通行されこれを庭園等として利用できないことによる損害であるといえよう。

これに対し控訴人が本件係争地を通路として通行されることにより蒙る客観的損害は、その面積において右復元部分の面積より広く、地価においても遙かに高額(この点は前記検証の結果により認められる。本件係争地が奥小路線の大通りに面している事実に徴し当裁判所に顕著である。)な土地を営業用として利用できないことによる損害であつて、前者に比し損害の大きいことが明らかである。

次ぎに右二、(ハ)及び八、前段記載の通路を復元すれば被控訴人の本件宅地の公路への通行の必要を充たし得るか否かについて考察するに、前出甲第三、六号証の記載によると本件宅地上の家屋には被控訴人方の仲居及びその親族が居住し、被控訴人所有の家財道具の一部が保管されているだけであることが認められるから、表通りに通ずる本件係争地を強いて選ばずとも右通路を以て十分となすべく、これに反する見解の右甲第六号証の記載は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上を要するに、本件証拠をし細に検討するも、本件係争地が被控訴人の本件宅地から公路への通行のために必要にして且つ前記囲繞地のために損害最も少きものであることについての立証責任が尽されたとはいい難いから、本訴請求はすべて失当といわなければならない。

よつて原判決は被控訴人の本訴請求を認容した限度で不当であるから、民訴法第三八六条によりこれを取消し、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、同法第八九条第九六条を適用して主文のように判決する。

山口地方裁判所第一部

裁判長裁判官 竹 村   寿

裁判官 井野口   勤

裁判官 石 井   恒

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